「ルリボシカミキリの青」|「動的平衡」の福岡ハカセが科学する心
はじめに
分子生物学者の福岡伸一博士が科学の世界にのめりこむきっかけになったのは、ルリボシカミキリの美しい青でした。どうしてこの世界にそれほど鮮やかな青が必要なのかということに想像を膨らませることが、現在も第一線で研究を続ける博士の問いになっているといいます。
本書では人と科学の関わりについて、「動的平衡」について研究している福岡博士ならではの視点で書かれています。生命も人間社会も、完全な姿を求めて絶えず変化しながら一回性の平衡状態として存在しており、その平衡状態でさえ定まったものではなく移ろいゆくものだというのです。
この、「動的平衡」というアイデアが随所にあらわれています。生命や科学、ときには社会についても語りながら読者にこの世界の不思議さについて考えること(=科学すること)の奥深さを伝えています。
「ルリボシカミキリの青」の目次とあらすじ
- プロローグ
- 第一章 ハカセの研究最前線
- 第二章 ハカセはいかにつくられたか
- 第三章 ハカセをいかに育てるか
- 第四章 理科的生活
- 第五章 「1Q84」のゲノムを解読する
- 第六章 私はなぜ「わたし」なのか
- 第七章 ルリボシカミキリの青
- エピローグ
福岡博士が生命と人間について考えた短いエッセーが収録されています。内容に応じて七章に分かれていますが、それぞれ独立しておりどこから読んでも楽しめます。
第一章 ハカセの研究最前線
この章では分子生物学の歴史やGP2遺伝子の研究をはじめとした具体的な研究成果についてわかりやすく書かれています。
第二章 ハカセはいかにつくられたか
福岡博士の少年時代から現在までの体験談が主になっています。昆虫マニアだった少年時代の昆虫採集道具屋さんとのエピソードや思い出の本の話など、分子生物学者である博士の原体験が紹介されます。
第三章 ハカセをいかに育てるか
大学教授でもあり、著書が入試問題に引用されることも多い博士の教育にまつわる考えが語られます。自身が体験した学ぶことへの感動を子どもたちに伝えることの難しさや重要性を示します。
第四章 理科的生活
狂牛病やノーベル賞、エコカーなどの社会的なことがらについて、生物学者ならではの視点で切り込んでいきます。「エゴからエコへ」という考えにシフトしていくことの大切さも訴えています。
第五章 「1Q84」のゲノムを解読する
村上春樹著「1Q84」シリーズに関する考察から始まる章です。「1Q84」の主人公である青豆とメンデルの遺伝の法則を結び付けながら、「リトル・ピープル」と遺伝子との関係について解釈する、なるほどと思わされる内容です。章の後半では活字文化の未来について思いをはせています。
第六章 私はなぜ「わたし」なのか
脳死の逆の概念である「脳始」について考えながら、私たちはどの段階から生命なのかという生命倫理の問題について考察しています。
第七章 ルリボシカミキリの青
最終章では「動的平衡」というこれまでも随所で触れられてきたアイデアが中心となるエッセーです。終章「ルリボシカミキリの青」は福岡博士とルリボシカミキリの青との出会いについて描かれています。
感想
福岡博士がたびたび言及する「動的平衡」というアイデアはやや抽象的です。
私たちの体は生まれてから死ぬまで絶えずさまざまな物質が入っては流れ出いるにもかかわらず、人間の形を保ち連続した意識をもつことのできる、一種の平衡状態にあります。この平衡状態は一定のものではなく、環境の変化に応じて平衡自体が調整される動的なものです。この、変わりうる流れの形としての生命というアイデアが動的平衡なのだと思います。
本書では生命現象だけでなく社会現象の中にも「動的平衡」という概念を援用することで見えてくるものがあるということを伝えています。
動的平衡については福岡博士の別の著書「動的平衡」や「生物と無生物のあいだ」などでより詳しく説明されています。
本書を貫くもう一つのテーマは学ぶ楽しさや奥深さを伝えること、つまり、教育であると思います。博士も引用している「馬を水辺に連れていくことはできても、馬に水を飲ませることはできない」という諺は教育のもつ可能性と困難さを言い表しています。
世界の不思議さについて、科学することの面白さについて誰よりも知っている福岡博士だからこそ、読者を水辺まで連れてくることができたのではないでしょうか。